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選挙宣伝車がやかましく候補者の名前を連呼する、選挙のシーズンがやってきました。
この時期になると「選挙には行った方がいいんだろうけど、誰に投票したらいいか分からないし、誰に投票しても結局変わらない気がする。」というような、選挙に行くべきというプレッシャーと、行っても意味ないだろうという無力感や、政治に対する絶望感を感じる人も多いのではないでしょうか。

私の周囲には「選挙に行くべき!」「選挙に行かないのは罪だ!」という主張を持った人が割といて、ちょっと弾劾的なプレッシャーを感じつつ、選挙に行って本当に政治が良くなるんだろうかという疑念が拭えないまま、とりあえず選挙に行っていたというのが正直なところです。
それでもどうすれば選挙と政治が良くなることが結びつくんだろうか、選挙に行くことに迷っている人がもっとスッキリできる考え方はないだろうかとずっと考えていました。
そうして考えていく内に、「なるほど、こう考えて選挙を見ればいいのか!」とピンと来る考え方が少し見えてきたので、選挙に行くことに迷っている人の参考になればと思いつつ考えていたことを文章化してみたいと思います。



1. 選挙はバランスゲーム!「どこを応援するか」ではなく「政権バランスをどうするか」が重要!

よく選挙の話になると、どの政党を支持するか、誰を支持するかという話になります。
どこを・誰を支持するかというのは確かに重要ですし、支持する政党や候補者が決まっている人はそこに投票すればいいのですが、問題は多くの人が「どこを支持するか」以外に投票の判断基準を持っていないことです。
そうすると例えば「原発推進派の自民党などに投票するのは嫌だけど、民主党系等の野党も応援できない」という人や、特に共感・支持できる政党や候補者がいないという人はどこに投票すればいいのか分からなくなってしまいます。
これが落とし穴でした。

結論から言うと、特に支持する政党や候補者がいない人は「一つの意見に候補者が偏らないようにするにはどうするのがいいか考えて投票する」ということが重要になります。
もう少し具体的に言うなら「一党独裁状態を避け、与党と野党のバランスができるだけ同じになるような結果にするにはどこに投票するのがいいか」ということです。

政治で一番恐ろしいのは権力が一箇所に集中して独裁政権が生まれることです。
それを防ぐために三権を分立させたり、衆議院と参議院の二議会制にしたりと、権力を分散させる工夫と制度が色々凝らされています。
議会制民主主義の歴史とは、権力を自分のところにうまく集めて独裁を行おうとする権力者と、それを防ぐための工夫の繰り返しだと言えます。
しかし残念ながら、日本の現状は独裁者の存在を許す一歩手前の独裁政権がまかり通っています。
独裁政権の方が、法案の提示から可決・実施までの政治の流れがスムーズに行きますが、それは見方を変えれば疑問や反対意見を差し挟む余地がないということです。
よく野党批判で「野党が足を引っ張るから政治が進まない」という意見が出ますが、それは独裁政権迎合派か議会制民主主義の機能をよく理解していない人から出てくる発言です。
確かに程度の低い野次や政治とは全く関係のないスキャンダルで無闇に足を引っ張るのは問題ですが、相手が通そうとしている政策に「重箱の隅をつついて足を引っ張っている」と周りから思われるくらい質疑を繰り返すのは野党政治家の重要な役目です。
言ってしまえは議会制民主主義とは人間の足を引っ張り合う習性を逆に利用し、効率よりも独裁防止に重点を置いた抑制機構なのです。
けれども結局それらの工夫が凝らされた抑制機構も、国民が政治に無関心であまり深く考えずにとりあえずあそこ票を入れとけばいいとなってしまうと、独裁防止機能が働かずに独裁政権が生まれてしまいます。
例えば衆議院と参議院で与野党の比率が逆転する「ねじれ国会」などは議会制民主主義が正常に作動している好例なのですが、日本のメディアはそれがまるで問題であるかのように報道していたこと自体が大きな問題です。

ぶっちゃけ自民党が与党になろうが、それ以外の民主系等が与党になろうが、今の政治状況が改善されることはないでしょう。
彼らは皆同じ穴の狢で、立場が逆になればそれぞれが言っていたことも逆になるだけで、どの政党が与党になるかということには正直あまり意味がないと思います。
ですが、与党と野党の議席数にあまり差がないという状況になれば話は全く変わります。
与党と野党の勢力が拮抗している状態では、国民のちょっとした反応ひとつが次の選挙に大きく影響して立場が逆転するようになるので、政治家が国民の顔色を伺ったり、立場が逆転したときに自分が言ったことが自分に跳ね返ってこないように無思慮な発言ができなくなったりします。
つまり、議会制民主主義は度々政権交代が起きるくらい与野党勢力が拮抗している状態が理想です。
政権交代が度々起こると政策が二転三転して進みにくくなるというデメリットもありますが、独裁政権よりもはるかに安全です。

もし選挙に勝ち負けがあるとしたら、国民の勝利とはどこの政党が勝つかということではなく、選挙で与野党の政治バランスを拮抗させることです。

これは県議会議員や市議会議院などの選挙も同様で、特定の議院や派閥が力を持ちすぎているとろくなことにならないので、誰がどこの派閥と繋がっていて、どこの派閥が力を持ちすぎているのか、誰がそれに対抗しているのかという視点で見ると地方政治の状況が少し理解しやすくなるかと思います。



2. 情報公開してくれる候補者がいたら、どこの政党かは関係なく応援しよう!

これは1.の「選挙はバランスゲーム」とは少し違う考え方になるのですが、ネットを通して情報社会化した現代だからこそ大事になる内容です。
よく社会を賑わす「炎上」という現象が、近年政治にも大きな影響を与えるようになってきました。
少し前までの「世論」や「世間の声」という実態が曖昧な都合よく使われるだけの言葉や、時間と手間のかかる「署名運動」などと違い、「炎上」は公開された情報がネットを通じて瞬間的・爆発的に広がり物議を醸し出します。
政治家の失言や、隠していた情報が表に出て起きた炎上騒動によって、政治家の進退にまで影響する事態が多発したため、政治家も炎上を無視できず敏感になっています。
ただし、それも情報が公開されていなければ炎上のしようもないので、情報を公開してくれる人の存在はとても重要です。
政治家や官僚の多くは(というか人間は誰しも)自分に都合の悪い情報はできるだけ公開せずに隠し、公開したとしても分かりにくくしますが、中には現状を問題視し、告発に近いかたちで情報を公開してくれる人や、相手を陥れる手段の一環として相手が隠している不利な情報を公開する人も存在します。
後者の動機の善悪はともかく、一般人に国会を全て見て情報を吟味したり政治家が隠している内容を調べ上げて追求するような余裕が中々ない以上、隠されがちな情報を公開してくれる人は応援し、守って行く必要があります。
また、与党に属している人は与党という立場にいるからこそ、野党に属している人は野党に属しているからこそ触れられる情報や公開できる情報というものがあるので、情報公開をしてくれる人はどこに属していても応援する価値があります。
選挙も議会も多数決である以上、本来一人だけの言葉や意見が持つ力はそれほど強くありませんが、現代では一人の情報公開によって起きた炎上が政策を大きく変えてしまうことは大いにあり得ます。

どこそこの政党は嫌いだけど、その政党に所属している〇〇という人だけは私たちに必要な情報を公開したり必要な質問をしてくれるという人がいたら、ぜひその人を応援しましょう。
そういう人に票が入る流れができていけば、どこの党が与党や野党になったとしても政治の透明性が増していくので、長い目で見ても良い効果があります。



とりあえず現状で投票する先に迷ったら上記の二つのポイントで考えてみてください。
選挙に行かなかったり白紙で投票するよりかはずっと政治に影響を与えられます。
ただ、上の二つのポイントで考えるにしても、ある程度政治の勢力バランスや、各候補者の主張や人となりなどを知ってないと結局投票する先に迷ってしまうので、その辺は自分で調べてみたり、知ってる人に話を聞いてみたりする必要があります。

今回の選挙では、私の周囲でも40代前後の比較的若い人たちが市議会・県議会選や市長選に挑戦し始めていて、現在政治家の大多数を占めている60代政治家との代替わりの兆しを感じています。
それはまだ挑戦であり兆しの段階なので、いきなりそういった若手の人たちが次々と当選して、政治状況が劇的にガラリと変わるというわけにはいかないかもしれません。
ですが、今の政治家に行き詰まりや絶望感を抱いている人も多くいるでしょうし、どちらにしろ若手に政治運営が引き継がれていかないことには先はありません。
身近に政治に名乗り出る若手が増えてくると若者にとっても政治が他人事ではなくなってきますし、その結果の成否に関わらずとても意義のあることだと思います。
選挙に悩んでいる人はそういった若手挑戦者を応援してみることも意義のある一票に繋がるでしょう。

たった二つのポイントですが、誰に・どこに投票したらいいかわからないと行き詰まっている人には参考になるのではないかと思います。


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7月19日から21日にかけてドイツのカッセルで開かれていたドクメンタ14を見に行ってきました。
もっと早く投稿しようと思っていたのですが、ハードディスクに保存した写真データや作品情報の整理に手間取ったり他のことに手をかけたりしている内に気がついたらもう10月。
ドクメンタ14ももう終わってしまって今更感がありますが、一応整理した情報の一部と感想などを載せておこうと思います。


まずはドクメンタについての基本的な情報を簡単に

・敗戦国ドイツの文化・芸術復興の象徴として始まる

・5年に1度ドイツのカッセルにて開催(今回は14回目なので ドクメンタ14)

・現在はベネチアビエンナーレやアートバーゼルに匹敵するほどの規模と知名度の大きな芸術祭になっているが、コマーシャル(商売を目的とした)アートがベースではなくアーカイブ的傾向が強いのが特徴

・今回は「アテネから学ぶ」というテーマのもと、アテネとカッセルの異例の2都市開催(今回のドクメンタの内容を企画したキュレーターの名前はAdam Szymczyk)

・チケットの値段は以下のとおり(チケットはインフォメーションの側にある券売所で購入できました。)
(2017 Documenta14)
1day ticket 22€
2day ticket 38€
Season ticket 100€
Evening ticket (from 5 p.m.) 10€
Family ticket 50€
School classes (per parson) 6€
Children (age ten and under) Free
ドクメンタの全会場共通チケットを買わずに以下のメイン会場を個別に見て回る場合の入場料は Single 12€ / Group 170€
FRIEDRICHSPLATZ
DOCUMENTA HALLE
NEUE NEUE GALERIE
NEUE GALERIE

・ドクメンタ14の開催期間(もう終了しています。)
 カッセル:2017年6月10日から9月17日
 アテネ :2017年4月8日から6月16日

ドクメンタ14公式ホームページ  


参考になるかどうかは分かりませんが、日本語でドクメンタについて紹介されている記事やサイトには過去のドクメンタの内容に関しての記事はたくさんあっても滞在に関する記事はほとんどなく情報不足だったので、ドクメンタ滞在に関する流れも記しておきます。

・カッセルは田舎町なので手頃なホテルやゲストハウスは少ない。そしてドクメンタ開催中はあまり安くない。

・そこで一緒にドクメンタに行きたい人をフェイスブック上で募り、Air b&bで複数で借りれる部屋を探して利用。(5人で利用して割り勘した結果、ゲストハウスよりも安くつきました。また知っている人たちで借りるのでゲストハウスに泊まるよりも快適です。)

・カッセルまではベルリンから出ている高速バスや電車を各々が利用して現地集合。(私は早めに高速バスのチケットを予約したので、ベルリンからカッセルまで片道18€で行けました。ちなみに高速バスで片道5時間半ほどかかります。電車の方が楽です。)

・カッセルについてからの移動は主にタクシーと電車、バスを利用。複数人で行動する場合はタクシーで割り勘が安くて便利。バス・電車は便数が少ない上に夜は終電がとにかく早いので要注意。夕方まで展覧会を見て回ってからレストランで夕食をとっていたら確実に最終便を逃します。交通チケットは1日券(7€)を購入して使っていましたが、実際に展覧会を見て回っているとメイン会場近辺を見て回るだけでも結構大変で交通機関を使って離れた会場まで1日のうちに観に行く余裕はあまりなかったので、行きと帰りの往復分のチケットだけで十分でした。また、ドイツあるあるですが券売機の操作方法やホームの場所がとにかく分かりづらく手間取るので、移動時間は多めに見積もって予定を組むことをおすすめします。

・レストラン等ご飯を食べる場所はパッとみた感じそれほど充実はしていません。チェーン店などはそこそこあります。地元料理を食べれるレストランなどは見つけられなかったのであまり期待しない方がいいでしょう。


以下カッセルでの滞在の流れ。

19日お昼過ぎに到着して2時頃に皆と現地集合。
15時に宿泊所にチェックインし、ドクメンタを見て回るかカッセル観光するかどうか悩んだ結果、今からドクメンタのチケットを買ってもあまりゆっくり見て回れずもったいないので、カッセルの観光名所のヴィルヘルムスヘーエ公園やヘラクレス像を見に行くことに。
ヴィルヘルムスヘーエ公園はモルタル製の有機的なフォルムで形作られた巨大な噴水や建物が独特で、雨が降り出す前のどんよりとした空とあいまってドラクエの魔王城のような雰囲気でした。(ここで風雲たけし城やったら絶対面白い。)
思ったより素材的にチープな作りで見に行く価値があるかどうかは微妙なところですが、これはこれで観光場所として面白いです。
結果的に2日間ではドクメンタの会場の半分ほどしか見て回れず、後になって意外と夜も展示やっているところがあることが分かったので、午後に到着して微妙な場合でも夕方5時以降だけ見て回れるEvening ticket 10€を購入するか入場券12€を支払ってメイン会場のどれかだけでも見て回っても良かったなとも思いました。


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ヴィルヘルムスヘーエ公園からヘラクレス像を仰ぎ見る


20日から21日の夕方にかけてはドクメンタ14の会場めぐり。
全部で30以上ある会場の内、2日かけて回れた会場は以下のとおり。

FRIDERICIANUM(アテネのギリシャ国立現代美術館の作品を展示)
NEUE NEUE GALERIE (NEUE HAUPTPOST)
EHEMALIGER UNTERIRDISCHER BAHNHOF/FORMER UNDERGROUND TRAIN STATION
NATURKUNDENMUSEUM IM OTTONEUM
DOCUMENTA HALLE
WESTPAVILLON (ORANGERIE)
KARLSAUE
PALAIS BELLEVUE
NEUE GALERIE
HESSISCHES LANDESMUSEUM
GRIMMWELT KASSEL
MUSEUM F¨UR SEPULKRALKULTUR
WEINBERG-TERRASSEN
KUNSTHOCHSCHULE KASSEL


これだけ見て回るだけでも正直かなり疲れました。
今回は膨大な資料を作品として展示しているものもあり、一つ一つ作品をじっくり見て回ろうと思ったらどのくらい時間があっても足りません。
作品の理解や鑑賞そっちのけでとりあえず全会場を制覇するために足早に通り過ぎて行くだけなら3日あれば一通り全ての会場を見て回ることはできるでしょうが、すくなくとも気になった作品だけでもちゃんと鑑賞して回ろうと思えばメイン会場等大きな会場に4〜5時間、各小会場に1〜2時間、そして各会場を回る合間に1〜2時間の休憩を挟み、1日に回る会場の数は3箇所以下に抑えるのが良いでしょう。
時間のない方はメイン会場とその近辺の会場をいくつか軽く見て回る程度で限界です。
よくこういった大規模なアートイベントを見てくると、どこがお勧めだったか、どこを見て回るのがいいかとよく聞かれますが、とりあえずメイン会場中心に回るのが良いというのが私なりに今まで見てきた経験からの答えです。
離れた辺鄙な会場にいい作品があることもありますが、やはりお金をかけていて人も沢山見にくるメイン会場近辺には見応えのある作品を配置していることが多いので、時間がないなら離れた会場は諦めてメイン会場近辺に集中する方が良いです。
時間とお金に余裕のある方は開催期間の全ての時間を使って見て回ることをお勧めします。
そのくらいドクメンタに展示されている作品の情報量は凄まじいです。
また、ドクメンタに展示されている作品の多くがいわゆるコンセプチャルアートを主とした現代アートに属するものなので、あらかじめ解説を読んだり作家や現代美術史や社会の歴史について調べたりして予備知識を持っていないと作品の内容の1割も理解できない場合がほとんどです。
にもかかわらず、ドクメンタは有名作家の作品は少なく、おまけに今回は特に解説も事前情報も少なかった様子。
実際調べて見ても本当にまともな情報が出てこなくて、公式サイトに載ってある会場の地図や作家一覧を探し当てるだけでも一苦労でした。(普通に公式サイトを見ていても中々そこまで辿り着けず、検索スキルがないと情報が得られない。)
今回のドクメンタの評判が悪かったのはドクメンタが報道陣に対して事前の情報提供やサービスをほとんどしなかったためではないかと言っていた人もいたくらいです。
なので事前情報はあまりあてにせず、とりあえず実際に行って一度見て回り、気になった作家をチェックし、調べてからもう一度じっくり鑑賞するのがドクメンタで作品を堪能する最良の方法かもしれません。

ちなみにいうと日本語でドクメンタや展示作家について紹介される記事は前段階では検索してもほとんど出てきませんし、出てきたとしても終盤ギリギリかドクメンタが終わってからです。
それも仕方のないことで、気になった作家を英語やドイツ語もしくは作家の生まれた国の言語で調べようとすると今度は膨大な量の資料が出てきて一通り目を通すだけでも大変。
ドイツで英語かドイツ語で書かれたアート雑誌や公式の解説集を買えばドクメンタや作家に関する情報も手に入れやすいですが、相当な語学力と読解力が必要になるので言語に自信のある方以外にはあまりお勧めできません。
そんなこんなでドクメンタについてまともな記事を書こうと思ったら、鑑賞して回るにも調べるにも記事を書くにも恐ろしいほどの体力と時間を使います。
だからドクメンタ開催後すぐにあがってくる記事は内容がペラペラになってしまいがちだし、内容のしっかりした記事は出てくるのがドクメンタが終わる間近か終わった後になってしまい、しかも内容が濃く重くなるのでせっかく日本語で書いてくれた人がいても日本人の多くはちゃんと最後まで読んでくれないという状態に。(私のこの記事みたいにドクメンタ終わってから投稿しているにもかかわらず内容ペラッペラなのは論外ですが。)

しかるに、こういった海外の芸術祭をまともに堪能するには私たち日本人は現状かなり不利です。
まず言語の壁があり、欧米の人たちが当たり前に持っている社会感覚や歴史に関する知識もあまりないので、こちらの人が普通に鑑賞して横に貼られた解説をちょっと読んで「なるほど、こういうことを表現しているのか」となるような簡単な作品ですら理解できないことが多い。
そして何より、私たち日本人の多くは頭を使って作品を鑑賞するという訓練をしてきていないので、好きか嫌いか、綺麗と思うかそうじゃないか、凄いと感じるか感じないかといったようなふわっとした感覚でしか作品を見れないし、日本語で書き出される感想もそういった内容のものが多くなってしまって作品に対する鑑賞者の理解度がなかなか深まっていかない。
日本人は「アートは言語を超える」といったような言葉をよく好みますが、アートが言語を超える=言語を必要としないと考えているのであればそれは思い違いかもしれません。
むしろ昨今主流のコンセプチャルアートにおいては言語で語られることこそが鍵であり、こちらの人がアートが言語を超えると言ったとすれば、どれだけ解説しようとしても消費されきらずに、無限に言葉を引き出し続けられるかのごとくアートが存在しているからこそそう言われるのでしょう。
かく言う私もそういった感覚的に美術に接している日本人の一人なので、コンセプチャルアートを作ったり鑑賞したりするのは苦手です。
私が「この素材をこう使って光の加減と色合いからこんな風に展示して見せたのか。これは面白い。今度自分の作品にもこの手法を取り入れてみよう。」とか思いながら見ているそばで、こちらの人は「この作家はあの作家から影響を受けているのだろうか?作家の歳と制作日を考えるにこの頃はあんな出来事があったからおそらくそのことも意識して作られているのだろう。ふむ、この作家はどこそこの国出身で、この作品が作られたのはあの都市。ということはあのことにも関連づけているのか?」とか考えながら鑑賞しているわけです。
言うなれば私たち日本人の多くはミクロな視点で目の前のものを個別に見ていて、そういうことを処理する方が得意。
だから色合いとか造形とかに対する感覚はとても鋭いしうるさい。
それに対して欧米の人たちはマクロな視点から目の前のものを美術史や歴史や社会と関連づけながら位置づけしていき、そういった物事を体系化し、形作っていくような知的活動を楽しんでいます。
そして海外で行われているアートや展示は主にそういったマクロな見方をしている人々を対象に作られたものです。
もちろん作品をどう見て何を楽しむかは最終的には各鑑賞者の自由なので、日本人流に感覚で作品を鑑賞するのも何の問題もありません。
ただ、コンセプチャルアートではキャッチーな要素を含んだある程度インパクトある作品作りはされていたとしても、最終的に一番重要なのは鑑賞者の知的活動に耐えうるだけのコンセプトを付与することであって、見た目は二の次です。
だから感覚だけで海外の作品や展覧会を見ても全く意味や良さがわからなかったり、意外と作品が稚拙に見えてつまらなかったりすることも多いし、作家やキュレーターが一番見せたいところを汲み取れないわけだからちょっともったいない。
逆に日本は海外のアートを勝手に祭り上げてコンプレックス持っている暇があったらもっと感覚に特化した尖った展覧会を開いていき、感覚特化型の作家を育て、感覚を重視する日本の文化や歴史的背景をマクロ的視点から説明して援護射撃できる批評家やキュレーターやギャラリストを増やしていけばいいと思う。


さて、では気になった作品の紹介や感想の一部をいくつか紹介していきましょう。


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Marta Minujin
The Parthenon of Books
FRIDERICIANUMの前にあるパルテノン神殿を模して建てられた作品。
巨大で目を引き、ギリシャとの関わりも一目瞭然な今回のドクメンタの象徴的作品。
神殿は鉄筋等でできた骨組みのまわりにかつて様々な国で発禁書扱いを受けた本をビニールで巻きつけて作られている。その数10万点あまり。しかもこの作品が建てられている広場はナチスドイツ時代には焚書が行われたという。




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Danny Matthys
Brabantdam 59, Gent, Downstairs-Upstairs(1975)
FRIDERICIANUMに展示。
二人の撮影者がモノクロ写真を撮りながら階段の上と下から進んで交差していく作品。シンプルでありながら撮影者が動いていく様子と交差する瞬間の高まりがよく表れていて面白い。




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Costas Varotsos
Untitled(2017)
FRIDERICIANUMに展示
ガラスにプリントされた様々な国の国旗が床の上に割れて散乱し、混ざり合いながら横たわっている。この作品が表現しているのは戦争や紛争の歴史だろうか、それともグローバル化によって崩壊しつつある従来の国という概念だろうか。




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Roee Rosen
The Dust Channel(2016)
PALAIS BELLEVUEに展示。
ダイソンの掃除機をモチーフに役者がオペラを歌いながら愛憎劇を繰り広げ、その合間合間にダイソンの掃除機開発のドキュメント番組(と思われる)から切り取られてきたワンシーンや、ダイソンとは全く関係なさそうなイスラエルの不穏なニュースが差し挟まれる。映像の大部分を占めるオペラはコミカルかつコケティッシュで、全部で23分の映像なのにも関わらず、見ていて疲れないし飽きない。映像作品はちょっとでも長いと最後まで見てもらえないのが普通だが、この作品はほとんどの鑑賞者が途中で席を立つことなく最後までちゃんと見ていた。それほど映像として作り込まれていて、その完成度に脱帽した作品。途中に挟まれるイスラエルのニュース映像が脈絡なく感じられ、そこに違和感と疑問が生じ、かえってイスラエルの映像が頭にひっかかったままこびりついている。今回のドクメンタの中では特に好きだった作品。




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Maret Anne Sara
Pile o’ Sampi(2017)
NEUE NEUE GALERIEに展示。
一目見た瞬間骨付きな私は思わず「美しい!!これ欲しい!!!!」と思ってしまったが、ノルウェー人アーティストである作者が、2007年ノルウェー政府がトナカイの生体数削減を目的としてサーミ族の所有するトナカイの強制処分を可能にする法律を制定し強引なトナカイ処分を行ったことに対しての批判を込めた作品とのこと。
パネルに印刷されて照らし出されたトナカイの首の山の写真が残酷さを物語っている。




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Britta Marakantt-Labba
Historia (2003-07)
DOCUMENTA HALLEに展示。
スウェーデン人の作者がトナカイと北欧先住民族サーミの歴史を200mあまりの布に刺繍して綴ったテキスタイル作品。
その長さと細かさはまさに力作としか言いようがないが、ご覧の通り刺繍はとても可愛らしく柔らかい雰囲気を醸し出している。
しかし刺繍されたその歴史には迫害の時代などもあり、内容はほのぼのとしていない。
情熱や悲惨な歴史を刺繍という手作業の柔らかな表現に包みこみ、穏やかな雰囲気が人を引き寄せ、抵抗なく作品の内容が内側に流れ込んでくる素晴らしい作品。




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Antonio Vega Macotela
The Mill of Blood(2017)
Westpavillion(Orangerie)の前にある庭園に設置されていた作品。いかにもカラクリめいた機工に引き寄せられたのだが、解説を読んでみるとこの作品はスペイン植民地時代にボリビアで実際に使用されていた銀の粉砕機を実寸大で再現したレプリカだとのこと。実際に下で横棒を押しながら歯車を回してみたところ、思ったより軽々と動くことに驚いたが、実際の労働者や奴隷が押していた機械はどうだったのだろうか。機械化によって劣悪な労働環境は改善されたのか、それともまた別の新たな悪環境が生み出されたのだろうか。


他にも色々ありましたが全てを編集して紹介するのは大変なのでとりあえずこのくらいで。
あとドクメンタとはあまり関係ありませんが、個人的にはMuseum für Sepulkralkulturという博物館がとても良かったです。
(一応ドクメンタの会場の一つなので少しだけ作品も置かれていたけど作品そっちのけで博物館の展示物を見てました。)
埋葬に関する物事を取り扱った博物館で、昔の霊柩馬車や棺、暮、葬儀に関する道具、様々な葬儀に関するしきたりや方法、また死に関することなどマニアックな内容の情報や資料がたくさんあるので興味のある方はぜひ。

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Museum für Sepulkralkutur に展示されていた霊柩馬車


美術史やヨーロッパの歴史についてまだあまり体系だった知識を持っていないのでドクメンタや各作品について深い内容を書けないのが残念ですが、今回カッセルへドクメンタを見に行ったグループの中でドイツで博物学を学んでいる方がSYNODOSに今回のドクメンタについての感想を書いた記事を投稿されているので、そちらの方がより深いドクメンタに対する洞察が書かれています。
リンク:SYNODOS 無数の断片の中に潜り込みながらードクメンタのナラティブ・テクニック

複数で芸術祭を見に行くとそれぞれの知識や感性を持ち寄って一つの作品に対していろんな見方ができたり見落としていた作品の魅力に気付けたりするのも良いですよね。

今回のドクメンタは最終的に大赤字になって今後の開催がなくなる可能性も危ぶまれているみたいですが、もし5年後も再び開かれたら今回のこの記事が多少は誰かのお役に立てたら幸いです。





二ヶ月ほどの一時帰国を終えてまたベルリンに戻って参りました。

今回の一時帰国ではドイツのライプチヒという都市で「日本の家」を運営されている大谷さんやそこで出会ったアーティストをはじめとした色々な人たちと一緒に「てぶら革命」という活動を行い鳥取や岡山、広島、京都、東京など各地を巡回してきました。

私が一緒に巡回したのは鳥取・岡山・広島まででしたが、せっかくなので見聞してきたことや活動を通して見えてきたものを軽くまとめてみたいと思います。

日本の家 http://djh-leipzig.de/ja
てぶら革命 http://djh-leipzig.de/ja/tebura




・てぶら革命とは - ライプチヒ・日本の家とそこに集まる人々 -

まずてぶら革命について簡単に説明したいと思います。

今回の活動の発端になっている「日本の家」は、ドイツに来て暇を持て余していた大谷さんが空き家などの余っている空間を使って何か面白いことができないかなと、特に目的やあてもなく空き家を探してなんとなく始めたという、実はかなりゆる~い場所です。

特に目的やあてもないからこそそこには縛りもあまりなくて、とにかく面白いことができないかと色々なイベントやワークショップを企画して、周辺に住んでいる人や訪れる人と交流していく内に、人が人を呼び、若者から年寄り、ホームレスからアーティスト、ミュージシャン、学者に至るまで色々な人が集う場となりました。

現在でも週1〜2回開かれているごはんの会や、色々なアーティスト・ミュージシャンなどによる展示や演奏、アートや学術的なことに関するワークショップなど様々な催しが頻繁に開かれ、多くの人が日本の家での交流を楽しんでいます。

日本の家という名前もただ日本人が借りて運営しているからという理由から名付けられただけで、特に日本文化を広めることが目的というわけではありません。
だからこそ国籍や仕事、老若男女を問わずいろんな人がただなんとなく入り浸って交流を持つことができるリビングルームのような自由な空間が生まれたのだと思います。

もしこれが「日本」ということにこだわっていたら、もっと堅苦しくて日本に興味のある人や日本に関わりのある人だけが集まり日本についての話をするだけの、狭いコミュニティになっていたかもしれません。

ゆるくて自由だからこそホームレスの人も難民の人もアーティストも学者も立場にこだわりなく遊びに来れるし、そこで色んな人が個人として交流できるからこそ新たな可能性や問題に気付くきっかけが生まれます。

たとえばアーティストや学者がホームレスの人のもとや難民のキャンプに行って取材をしたとしても、そこではインタビューする人とされる人という型にはまってしまい、その関係性を超えた答えや交流を得ることは難しいでしょう。

隣でお酒を飲んでいた人や一緒に料理をしていた人が、話してみたらたまたまホームレスや難民だったという偶発性とゆるさの中での交流には、インタビューやフィールドワークという形式ではなかなか触れられない人間性や情報、気づきがあります。

そのような既存の社会のしがらみや肩書き、主義や思想から少し自由になったこだわらなさを「てぶら」という言葉で表現し、そしてそこに「革命」という言葉を結びつけたのが今回の活動です。


てぶら革命に参加しているのは先進国で生まれ育った20代から30代までの若者が主で、とにかく生産して稼いで出世していけば良かった経済成長期やバブル時代は生まれた頃にはもうほぼ終わっており、資本主義や国の体制も破綻しているのが目に見えていて、かといって共産主義やヒッピー的な生き方も駄目だと見せつけられ、どうすればいいのかはっきりとした分かりやすい答えのないまま先の世代が作った負債ばかりがどんどん目の前に積まれて将来に重い影が差していく、なんともいきぐるしい世代です。

社会にしがみついても希望の見えない人々が既存の価値観を一度手放して手ぶらになり、そこから新たに見えてきた生き方や考え方の中には次の社会を形作るヒントがあるのかもしれません。

ここから先は私個人の考えになりますが、私たちの世代は資本主義や共産主義など極端から極端に走っていた先の世代の行いを厳しく省みながら、その場その場で最もバランスのとれた最適解を手探りで見つけ出していく、バランスの世代であることを求められているのではないかと考えています。

わかりやすいプロパガンダにみんなが従って盲目的に突き進んでいけば良い時代は、「〇〇主義社会」が通用する時代はもう終わったのです。

これからはそこにある資源や人口構成、環境などに合わせて各地域ごとに最適解を導き出し、時の経過に合わせてその都度対応していくことが求められる時代です。
それは多様性をベースとした社会であり、主義をベースに置いた一律的な管理機構からなる旧来の社会システムや政治体制ではむしろ対応や移行が困難なものです。

多様な価値観や多様な生き方を保持したままゆるく繋がっている多様性のある社会は別の角度から見れば烏合の衆とも言え、主義や思想などによって一つにまとまっている社会の方が戦争や競争になると遥かに強く、これまでの歴史の中では多様性のある社会は最終的に極端な主義社会に討ち滅ぼされてきました。
けれどもそうして競争に打ち勝ってきた主義社会も万能ではなく、むしろその極端さ故に暴走や腐敗を招きやすく早晩自滅する運命にあります。

適度な競争は生存能力を高めてくれますが、過剰に熾烈化した競争はかえって生存能力を損なってしまいます。
現代社会で繰り広げられている競争は果たして種や生物としての生産性や生存能力を高めてくれるものでしょうか?
それともお互いに足を引っ張り潰しあって自滅に向かって加速していく競争でしょうか?

過度な競争から脱却して加速していく自滅にブレーキをかける必要があることはすでにもう何十年も前から言われ続けていることですが、一度競争の中に足を踏み入れてしまうといざそこから抜け出ようと思っても、競争の輪から外れてしまった瞬間に落ちぶれたり叩き潰されたりするのではないかという不安や恐怖が沸き起こり、普通は中々抜け出せないものです。

そんな中でもそこから抜け出し、主義や常識というレールから外れて新たな可能性を求め彷徨い試行錯誤を行う人々、広い視野を持って偏った現状を見抜き、バランスをとるために必要な情報を蓄積していける人々、社会と関わりながらも社会から少し自由な位置でたゆたうことのできる人々など、そういった主義や既存の社会にしがみつかずに生きていられる「てぶらな人々」こそ現在の過剰で歪な社会を是正する糸口を見つけ出す人々ではないでしょうか。

てぶらな人々はよく探してみればいろんな場所にいます。

てぶらな人々は普通の人からみたら不安定な生活をしている人やいい加減に生きている人に見えることもあるでしょう。

てぶらな人々がすることが全て正しいわけでも成功するわけでもありませんし、時にはそれで路頭に迷う人や周囲に迷惑をかける人もいるでしょう。

けれどもそういった失敗なども含めて、既存の社会ではあまり顧みられていない生き方や組織づくりへの実践を積み重ね、色々な生き方や社会を草の根から地道に形成していくことが、いつ瓦解してもおかしくない現行社会から抜け出す数少ない道の一つであることは確かなのです。

今は方々で独立して動いているてぶらな人々の試みを集め、交流し、情報を交換し、新たな火種を撒きながら日本各地を巡っていったのが今回のてぶら革命の役割の一つであり、革命と呼んで良い部分だったのではないかと私は考えています。

以上に説明したことは私の解釈が多分に入っていて、他のメンバーは他のメンバーでまた違う認識も抱いていることでしょう。

けれどもそのような一元化されていない、バラバラで流動的だけど安定しているという状態こそがこれからの社会が目指すあり方なのだと思います。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、それでは軽く巡回して来た場所とそれぞれの地域での取り組みや感想を軽く紹介していきましょう。
(できればまたそれぞれの地域や取り組みについてより詳しく取材した記事もいずれ書きたいと思います。)



・鳥取・鹿野町、湯梨浜町

鹿野町は尾道に住んでいたときから尾道空き家再生プロジェクトとの関わりで何度か訪れていた場所で、少々辺鄙な立地でありながらもまちづくりに力を入れており、鳥の劇場という劇団まである文化度の高い町です。
昔ながらの城下町が開発の波に晒されないまま維持されている街並みは美しく、消費を目的とした観光資源化されていない伝統行事や祭りには地域性が深く根付いていて、民俗学などが好きな人にはたまらない場所だと思います。
鹿野町のシニア世代が中心となって移住者支援などを行なっているまちづくり協議会、演劇関係の人が集まって廃校となった小学校を劇場に作り変えて劇団を設立した鳥の劇場、そして鳥取に移住してきて鹿野で八百屋barものがたりを経営されている成瀬さんなど沢山の方々の協力の下、イースターエッグワークショップや町歩きツアー、若者座談会、アーティストメンバーによる展示などをさせていただきました。
(私は目目連という作品を制作: https://youtu.be/4PFH6QayyGU
また、鹿野町の近くの湯梨浜町にあるゲストハウスたみでもトークイベントを開催させていただきました。
湯梨浜町はこの間の地震で特に被害を受けた地域の一つで、ところどころ屋根瓦が落ちてブルーシートが被せられている家が目につきましたが、幸いと言っていいのか壊滅的な被害にはならなかったようです。
湯梨浜町は温泉地帯で、地震によってひび割れた道路から温泉が吹き出し、近所の人がそこで温泉卵を作っていたというエピソードはちょっと笑えます。

鹿野町 http://www.shikano-net.com
いんしゅう鹿野まちづくり協議会 http://www.shikano.org
大谷さんの書かれた鹿野の記事 http://www.nikkeibp.co.jp/atclcsm/15/395085/063000006/
鳥の劇場 http://www.birdtheatre.org
八百屋barものがたり https://yaoyabar.tumblr.com
ゲストハウスたみ(うかぶ LLC) http://ukabullc.com
日本の家 てぶら革命@鳥取 http://djh-leipzig.de/ja/tebura_tottori



てぶら革命@鹿野! での”たまごファミリー町歩きツアーワークショップ”の様子。





・岡山・奉還町

鹿野の次は岡山駅近くの奉還町にあるゲストハウスとりいくぐるに赴き、そこが運営されているカドというラウンジスペースでてぶら革命に関するトークイベントをさせていただきました。
イベントの翌日は岡山でココロエという建築事務所をされている片岡さんに空き家ツアーをしてもらいました。
奉還町というのは大政奉還の折に幕府が倒され武士という身分を失った人たちが一斉に商売を始めて商店街になったという面白い経緯のある場所で、岡山駅近郊でありながらも少し入り組んだ道に入り込めば昔からある家屋や下宿・木賃アパートなど下町の風情が所々に残っており、再開発されて個性や歴史の感じられない街並みにされてしまう前に、どうにかしてそういった物件を借り受けて上手く残しながら活用したいところです。
また、岡山は良くも悪くも都会過ぎず田舎過ぎず、ほどほどのところでバランスをとっている優等生みたいな性質があり、新たな試みなど社会的実験を行うにはうってつけではないかとも感じられます。

奉還町 https://ja.wikipedia.org/wiki/奉還町商店街
ゲストハウスとりいくぐる http://toriikuguru.com
カド https://www.facebook.com/loungekado/
ココロエ http://kokoro-e.jp




・広島・尾道

私が大学時代からドイツに行くまで6年間を過ごした街、第二の故郷と言ってもいい場所、尾道。
尾道については語り始めるとめちゃくちゃ長くなってしまうのでかなり説明を割愛しますが、特殊な立地から空き家が多く、尾道空き家再生プロジェクトなど空き家の改修や活用をサポートしてくれる組織も充実していて、空き家をリノベーションして住んだりお店を開いたりする人がとても多いところです。
昔からの伝統と自由な気風の両方が入り混じり、独特の価値観を持った人々が思い思いに活動している、まさにてぶら革命を地で行くような街。
また映画やドラマ、小説、アニメ、漫画などの舞台にもよく使われる独特の風情がある街並みで、迷路のように小路と階段と坂道と寺社が入り組んだ斜面地は本当に物語の一場面に入り込んだような気分になります。
尾道では光明寺会館が所有するアーティスト向けのレジデンススペースと尾道空き家再生プロジェクトの運営する見晴らし亭というゲストハウスに滞在し、チャイサロンドラゴンでトークイベントをさせていただきました。
チャイサロンドラゴンを運営されている村上さんは以前ベルリンに住んでいたことのある人で、その伝手でここ最近過密状態になりつつあるベルリンから尾道に移住してきている人も多く、かつてのゆるかったベルリンを知る人々が現在のライプチヒでのジェントリフィケーションに対する取り組みを評価したりなど、コアな話の飛び交う場となりました。
このコアさと変な文化度の高さがいかにも尾道だなぁと感じたひととき。
私は用事もあったので他のてぶらメンバーとはここで解散し、しばらく尾道に滞在して来年予定している展示に必要な材料を集めたり知人・友人に会いにいったりしていました。

尾道 https://ja.wikipedia.org/wiki/尾道市
大谷さんが書かれた尾道の記事 http://www.nikkeibp.co.jp/atclcsm/15/395085/072700001/
尾道空き家再生プロジェクト http://www.onomichisaisei.com
ゲストハウス見晴らし亭 http://miharashi.onomichisaisei.com
光明寺会館 http://komyoji-kaikan.blogspot.de
チャイサロンドラゴン https://www.facebook.com/chai.salon.dragon/
ヤドカーリ https://www.facebook.com/yadocurly/





・岡山・宇野

尾道で用事を済ませた後、今度は再び岡山へ。
共通の知人の紹介でベルリンでお会いした栗田さんという方が運営されているゲストハウスが岡山の宇野にあり、ちょっとリノベーションに関してアドバイスを貰えたら嬉しいとのことで宇野に招待していただきました。
自身もオタクでコスプレイヤーであられる栗田さんの運営しているゲストハウス魚伊は、オタク文化×異文化交流×ゲストハウスというコンセプトのもと、アニメポスターが大量に貼られたオタク部屋や和風の部屋に忍者グッズの置かれた忍者部屋などユニークなコンセプトの部屋が沢山あってとても面白いです。
サイズが合えばコスプレ体験もできるとのこと。
ちょうどいい機会だったのでてぶら革命についてのトークイベントを軽く開催させていただき、泊めてもらったお礼にデッドスペースを改修して本が読めるブックスペースを作成してきました。
宇野は直島行きのフェリーが発着している港街で、ゲストハウス魚伊はフェリーの発着場のまさに目の前。
実は直島にはまだ一度も行ったことがないので、ぜひまた宇野へ遊びに行ってついでに直島も見て回りたいです。
直島が有名過ぎて宇野は霞みがちですが、今回お世話になった栗田さんや東山ビルというかなりいい雰囲気の古ビルを旅行者や移住希望者が一時滞在できる場所として改修・運営している西野さんなど、宇野を良いところにしていこうと頑張っている人たちが精力的に活動していて、これからどんどん面白くなっていきそうだというポテンシャルを感じます。
駅のすぐ近くには駅東創庫という巨大な倉庫をブースで区切ってアーティストなど制作者向けに貸し出しているシェアスタジオがあり、他にも何人かで倉庫を借りてアトリエとして利用している方達もいらして、割とアーティストにとって住みやすい場所なのかもという雰囲気もありました。

宇野 https://ja.wikipedia.org/wiki/宇野_(玉野市)
ゲストハウス魚伊(Airbnb) https://www.airbnb.com/rooms/7750742?location=Uno%2C%20Tamano%2C%20Japan&s=J-quNdat
東山ビル https://www.facebook.com/higashiyama.jp/
駅東創庫 http://www.unokotochi.jp/ekihigashi/
うのずくり http://www.unozukuri.com


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作成したブックスペース。いつものごとく廃材や余り材など有りものを使っています。


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元の状態。廊下奥の押入れで、デッドスペースとなっていました。


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中はこんな感じ。


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机は折りたたみ式。






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内装を手伝わせていただいた life Berlin という日本食レストランが今月オープン致しました。
もともとロンドンにあったlifeというお店がベルリンに移転して来たかたちで、昨年内装施工の仕事をさせていただいた ticro.de というヘアサロンとオーナーの方が同じの姉妹店になります。
今回もデザインは別の方がされていて、私は現場での具体的なアドバイスや施工の一部を行わせていただきました。

お昼は9〜10ユーロくらいの価格帯でカツ丼やカツカレーなどのランチメニューがあり、夜は価格帯が更に上がりますが炉端焼きなどのグリル料理や天ぷらなどいろいろな日本食を楽しむことができます。

Adress: Maybachufer 39, 12047 Berlin
Google map

お店ができたばかりでホームページはまだできていないようですが、お店の情報や工事の様子が ticro.co.uk や ticro.de のブログの方に載っていますので興味のある方はこちらをごらんください。
ticro.co.uk

表に下がっている提灯やのれんに書かれている「蕾風」という文字はライフと読むそうです。



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お店奥のレストランスペースのカウンターと客席。
壁の絵はカリグラフィなどの制作をされているアーティストの方が描いたもの。
Tokyo Counter Culture がお店のコンセプトで、目の前で料理が作られるカウンター席をメインに置きたいというのがオーナーの方の意向でした。


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入り口を入って左手にはお酒を提供するバーカウンターとDJブースがあります。
奥のレストランスペースは10〜11時頃には閉まりますが、手前のバースペースは比較的夜遅くまで営業されるそうです。



さて、ではアーティストになるためには、あるいはアーティストとして活動を続けて行くにはどういう方法があるでしょうか?
もちろんこれといった決まりがあるわけではありませんが、私が知っている選択肢を参考までに紹介して行きましょう。



1. 美大・芸大・専門学校等に行く

これらの学校を出たからといってアーティストになれるわけではありませんが、自己紹介をするときや先述したアーティストビザを取得するときなどに相手を説得しやすくなります。
ただ、「アーティスト=収入不安定」という将来的不安が強いためか、最近は美術系の大学に行く人もデザインや建築など、より一般職に結びつきやすい科を選んで入る傾向が強いようです。
日本の現状からすればそれも致し方ないことでしょう。

これから美大に入ろうとしている高校生や浪人生は何を基準に大学を選んだらいいか分からないということもあるかもしれません。
はっきり言ってどれだけ有名な大学に入っても、逆に無名な大学に入っても、卒業後もアーティストとして制作活動を続けていける人はほんの一握りで、その割合は大学の有名無名に関わらず、あまり変わらないように見えます。

ただ、美術大学の教授を目指したい!とか有名企業のデザイナーになりたい!などの場合は話が別です。
大学教授の席は出身大学のコネ(学閥)が採用に響くことがないとは言えませんし、有名企業への入社もそこに入っている先輩が多ければ多いほど有利です。
したがって権威ある職業や権威ある会社、権威ある賞を求めるのであれば、東京芸大などを筆頭とした権威ある大学に入るのが近道だと言えます。

しかしその権威が届くのはあくまで日本国内だけであることが多く、普通の日本人が海外の大学の名前なんてほとんど知らないのと同じように、海外の人は日本の大学の名前なんてほとんど知りません。
東大とか東京芸大とか聞いても「何その大学?」という反応で、名前に東京とついてるから「へー、Tokyoにある大学なんだ。」くらいのもんです。

日本の大学を出てから、もしくは交換留学等で海外の大学や大学院に行きたい人は、日本国内での知名度よりも「どの大学がどの国のどの大学と繋がりがあるのか」ということを調べて入った方が有意義です。

日本の高校を出てからいきなり海外の大学に行きたいという人は、まずは語学学校などに通って大学入学に必要なだけの語学力を身につけつつ、その国のその大学の試験方法に応じた対策を立てて行きます。
日本ではデッサンや色彩構成、油彩、水彩、塑像などの実技を重視することが多いのですが、海外では自分の作品集を作って面接に持って行くなど、それぞれの国や学校によって試験の内容が異なります。
(一応注意事項として言っておくと、日本の美大を出て海外の大学院を受けようと思っても、そのまま大学院に入れる可能性は低いと思って下さい。日本の美大の卒業証書が認めてもらえないというわけではありませんが、日本の美大と海外の美大では教育内容や研究内容が大きく違ったり語学力の壁があったりするので、日本の美大を出ていても海外の大学にまた一から入り直したり途中の学年から編入させてもらったりする人が多いのが現状です。)

別に権威ある大学や海外とか興味ないから自由に制作して大学生活を送りたいという人には学費の安い公立の大学などに行くことをお勧めします。
私立の美大はとにかくお金がかかることが多いので、親が学費・生活費・制作費の全てを出してくれるような金持ちでなければ課題とバイトをこなすのに精一杯になってしまって、自由に制作できるような余裕なんてあまりないでしょう。
公立だったら余裕で大学に通えるというわけでもないですが、私立に比べたら経済的な負担は遥かにマシです。
美大生は学費と生活費だけでなく、制作費もかかるということを忘れないように!

あと大学選びで見るべき点は 「どういう人が講師をしているのか」 「どういう設備があるか」 「大学の開放時間は長いか」 「どういう校風か」 などです。
たとえば陶芸やガラス工芸などをやりたい場合は、それらの制作が可能な設備が整っているか、教えられる講師はいるかなどの条件がはっきりするため、選べる大学は自然と限られてきます。

また、油絵・日本画・デザインなどにしても、どういう講師がどんな指導や講評をするかで制作内容が大きく変わってくるので、その大学に勤めている講師の作品や評判を調べ、できれば見学に行った際などに直接話してみたり先輩にどんな先生か聞いてみたりして情報収集することをお勧めします。
(どんな講師でも私は自分の作風を曲げない!という人もいるでしょうが、単位を出すかどうかは講師や教授次第なので、単位のためにある程度講師に認めてもらえる作品を作らないといけない場合もあると考えてください。)
ときどき「大学に入ってみたら講師の先生と全然反りが合わなくて、やることなすこと全部否定される!」という悲惨な目に遭っている人もいるので、これは結構大事です。

アトリエの広さや特殊設備などはもちろん充実しているほど良いですが、実際に入ってみて重要になるのがアトリエの開放時間です。
課題の提出間際など、「徹夜で制作したいけど大学が閉まって明日の朝まで制作できない!」「機材を使いたい人が順番待ちしていて間に合わない!」なんてことがよくおきます。
いくら設備が充実していても、いざ使おうとしたときに使えないのでは意味がありません。
そうならないように早めに制作できればいいのですが、なかなかそうはいかないもの。
そういうとき24時間自由にアトリエが使える大学は本当に羨ましく感じます。

あと校風も大事ですよね。
私は大学になって10年も経っていない比較的新しい学校に入ったのですが、新しい分古くからの決まりごとみたいなものもあまりなくて、結構自由にやりたい放題することができました。
古いしきたりの多い大学や、過去に色々と問題を起こした学生のいた大学は、やはりその分制限が多くなります。

これは私の意見ですが、大学生の内はとにかく色々なことに興味を持って関わってみて、ひたすら経験値を上げて行くのが後々のことを考えてもベストです。
学生の間は学生というだけで色々許されることが多いのですが、高校生までは学校というとても狭い世界から抜け出せず、経験値を上げられない人が多いのが実情です。
しかし大学に入った途端に自由度は一気に上がります。
そこで興味があることをとにかく片端からやってみると、自分が何が得意で何が苦手で、何が向いてて何を楽しいと感じるのかが分かってきます。
これはとにかくやってみないと考えたり悩んだりしているだけでは分からない。
だけど社会人になってからこれをやろうとしても、失敗できないことや許してもらえないことが増えるため、学生みたいに気軽に何にでも挑戦することができなくなります。
学生の間に経験値を積まずに社会に出て、仕事をしてみて初めてその仕事に自分が向いていないことを知り、かといって他に何が向いているのかも分からず、ただただ悩んでいる内に気力だけがなくなっていって仕事をやめて引きこもってしまう人も珍しくありません。
アーティストになるにしても、学生の頃から色々なことに挑戦して失敗することに慣れていないと、いいアイディアを思いついても実行に移すだけの行動力が身につかないでしょう。
将来何をするかに関わらず、とにかく学生の間は色々なことに挑戦して経験値を積むこと。
そしてそのために色々なことに挑戦できる環境を選んで大学に入ることを私はお勧めします。

もし入ってみた大学が思ったほど面白くなかったり、講師と反りが合わなくて悩んだりしている人は大学の外に目を向けてみてください。
社会には何か面白そうなことや変なことをしている人が絶対いるはずです。
とにかく色んな人と会ってみて、「こんな人もいるんだ」 「こんな生き方もありなんだ」 「こういう考え方もあるんだ」 という発見を沢山集めていくと、柔軟な考え方やものの見方ができるようになって、生きるのがずっと楽になります。
学生という肩書きだけで日本は受け入れたり許したりしてくれる人が多くなるので、学生の内はその肩書きを利用して色んなところに飛び込んでいくくらいが丁度良いと思います。



2. 商業アーティストになる

その2で述べたように、作品などを売って生計を立てることを目的にしているアーティストのことを商業アーティストといいます。
もしもそれが陶芸等のすでに市場の決まっているジャンルのものであれば陶芸家とか工芸家と呼ばれることもありますね。
そういう人たちは個展を開いて作品を売ったり、お店やギャラリーと契約して作品を取り扱ってもらったりして生計を立てています。
日本であれば陶芸や工芸系のなどの実用性を兼ね備えた作品は、人気と販路さえあればそれなりに稼いで食べて行けるようです。
それだけ「もの」としての魅力があれば買うのが日本人の傾向とも言えますが、それ以外にも建築的な背景から日本では工芸的作品以外は中々売れないという理由もあります。

欧米の建築と比較すると、日本の家は小さくて壁面積が少なく、おまけに釘や画鋲を指すことですら敷金や罰金を取られるような制限が多くて、絵や彫刻、現代美術などを買っても置く場所がありません。
(だからこそ日本では襖絵や欄間など建築の中に組み込まれた美術や、工芸品などの実用性を併せ持った美術品が発達したのでしょう。近代以降は和室に床の間のある一般家庭も増えましたが、絵巻物や花器といった純粋な美術品を飾るための「床の間」という空間を設えるのは、元々はかなり生活に余裕のある人にしか許されなかった贅沢なのです。その絵巻物ですら額に入った西洋絵画と違って、巻いて収納できることを前提に作られているのが面白いですよね。昔の人はお客さんや四季に応じて飾る絵巻物や生ける花を変えて接客したり鑑賞したりしていたそうです。)

このように日本の建築事情からすると、そもそも大きな絵画や彫刻といった純粋な美術品は売れないのが当たり前なのです。
それはヨーロッパに行って生活してみるとよくわかります。
もちろんヨーロッパにも格安の狭い物件はありますが、だいたいの建物は基本的に壁も天井も広いし、絵を飾るために釘を打ったり新しい棚を作ったり、色を塗り替えたりしても、最後に出て行くときに穴をパテで埋めて自分で白く塗りなおせばOKというのが基本です。
これなら普通の人でも気に入った絵や彫刻があったら、ちょっと買って飾ってみようかなという気になるのもわかります。
日本で普通の人相手に商売して売れるのはせいぜいポスターかポストカード、あるいは小物くらい。

しかし、そもそもアート市場で一番重要なお客さんは一般層ではなく富裕層です。
いくらアシスタントを雇ったりして作品を量産したとしても、一般層相手に手頃な値段で売っているだけでは生計を立てられるほど稼ぐのは難しいからです。
そして海外の富裕層は本当に生活の次元が違う。

たとえば、アーティストアシスタントの仕事でとあるギャラリーでの展示と搬出を手伝いに行ったのですが、売れた作品を届けたのがアパートの最上階まるごとを使ったフラットで、聞いたところによると購入者はそこに住んでいるわけではなく、ただ自分の気に入った作品を保管して眺めるためだけにそこを借りているそう。
ベルリンの地価が他の都市に比べて安いとはいえ、最低でも月うん十万とか百数十万とかするようなアパートを趣味で借り、何百万もするような作品をぽんっと買ってしまう人って本当にいるんですよ。

そういう感じの人は日本にもいないわけではないですが、欧米にはそのまたさらに上が普通にいます。
大きな美術館やギャラリーでの展示を手伝うと、たまに関係者ということで一般向けのオープニングとは違うプライベートのオープニングなどにも呼んでもらうのですが、そこに来るのはアーティストの家族や友人などの関係者と、明らかに普通の人とは着ているものも毛色も違うスポンサーや大口の顧客の方々。
血が濃くなりすぎた貴族の家系なのか、不自然に背の高い、特注のスーツに身を包んだ巨人のような人もちらほらいて(私は並ぶと小人状態)、誰それさんは城を持ってるとかいう話を聞くともう本当に別世界に迷い込んだかのよう。
そしてそういう人達は嗜みとして若手作家の作品にもお金を出して応援する文化があるので、ギャラリストの人たちはそういう大口の顧客に見込みのあるアーティストを売り込んでいきます。
(ちなみに日本の金持ちの人達は若手のアーティストにではなく骨董品や新車などにお金を出す傾向があります。日本の金持ちがケチというよりも、お金の使い方や文化が違う感じ。)
そこで作品が売れればギャラリーには大きな利益が入り、アーティストにも報酬と次の制作費が入るのです。

ただ、勘違いされないように言っておくと、ギャラリーと契約して売れることが必ずしもいいこととは限りません。
たとえ作品が1千万円で売れたとしても、アーティストに入るお金はおそらくその10分の1くらいでしょう。
ギャラリーが援助した制作費だけでなく、ギャラリーの運営資金や仲介手数料など諸々の経費と取り分を引いていけばそんなもんです。
だからといって売れるようになったからギャラリーとの契約を切って自分で売って丸儲けしようとしてもそう上手くはいきません。
ギャラリーもそうならないように考えて契約書を作っていますし、ギャラリーの持っているパイプなしで次も高値で作品が売れる保証はないのです。
いくら作品が高値で売れても、それがそのまま自分の懐に入ってくるわけではないというのはよく理解しておかなければなりません。

また、一つの作品が売れるとまた同じような作品を欲しいという人が出て来るため、たとえ自分が他の作品を作りたくても、ギャラリーから「次もこの系統の作品を作れ」という指示をされたらそれに従わなければいけないことがあります。
沢山の作品を売れば自由に作品を作らせてもらえる機会も増えていくでしょうが、基本的にギャラリーと契約して自分の好きな作品を作って生きていけるほど世の中そんなに都合良くはできていないと考えた方がいいでしょう。
作りたくないけど売るために作った作品は果たして本当に美術作品といえるのかどうか、これは商品か?それとも美術作品か?あるいはその両方なのか?
商業アーティストには商業アーティストのジレンマがあります。
いずれにせよ日本で売れる作品というのは少なく限られるので、もし日本にいながら商業アーティストとして活動をしたいのであれば、海外に販路を持つギャラリーと繋がりを持つのが良いでしょう。


3. 助成金を使って制作活動を続ける

ギャラリーと契約していないアーティストやそもそも作品を売ることに向いていないアーティストなどは、自分の活動の社会的意義をアピールして助成金をもらいながら制作活動を続ける方法もあります。
ただ、助成金は基本的に制作費や活動資金に対してしか支払われない(つまり生活費は出ない)場合が多いので、実際にはバイトや作品の販売をしながら制作費を助成金でカバーしている人が多いように見受けられます。
海外は大小様々な助成金が色んな国や自治体、企業などから出されているので、探せばきっとあなたの活動に合う助成金があるでしょう。
色んな国を飛び回っているアーティストの友人が私には沢山いるのですが、彼らはそうして色んな国の助成金を貰って生活と制作を両立させています。
(一つの国の中だけで助成金をもらい続けるのは限界がありますし、滞在型の制作であれば交通費や滞在費まで助成金がカバーしてくれることも珍しくないので、一つのところでじっとしながら制作するよりあちこち飛び回った方がかえって自分の懐が痛まない場合もあるのです。でも真似するのは簡単じゃないですよ。)

一方、日本の場合は地域の芸術祭などイベント規模の活動に向けた助成金は国や自治体が割とたくさん出しているのですが、アーティスト個人が一人で申請して利用できるような助成金はほとんどありません。
なので、日本で活動しているアーティストは色んな地域の芸術祭やイベントを渡り歩いて参加しながら制作費を貰ったり、自分が住んでいる地域でイベントを立ち上げたりして助成金を貰う人が多い印象です。
それはそれで色んな地域で芸術祭が興って面白いのですが、日本の場合は芸術を楽しむために芸術祭を開いているというよりも、地域おこしや予算獲得のために芸術祭を利用していると言ったほうが適切であることが多いため、参加する場合は注意が必要です。

ちゃんとしたキュレーターや仕掛け人がいて、その地域のことや参加する作家のことをよく理解してイベントをプロデュースしている場合はいいのですが、他の地域がやっていることをよく理解しないまま真似して、その地域や目的に合わないアーティストにお金を出し、その結果よくわからない作品と芳しくない数字や赤字だけが残り、その責任がアーティストに向けられたり地域内で諍いが起きたりしているという話もよく聞きます。
中には地域おこしのプロフェッショナルと言ってしまってもいいようなアーティストもいますが、ほとんどのアーティストはそうではありませんし、短期間の滞在で地域おこしができるような力のある人なんてそうそういません。

アーティストはとりあえず野放しにしておいて、もし偶然何かいい結果を生み出したらラッキーくらいな存在です。
狙っていい結果を出せるような切れ者でやり手のアーティストはほんの一握りだと考えてください。
余裕のある地域がその余裕を使ってアーティストを放し飼いにすると割といい結果が生まれやすいのですが、余裕のない地域が他の地域がやっている地域おこしのための芸術祭というアイディアにすがってアーティストを招いても大体ろくなことにはなりません。
そのような余裕のない地域を活性化してくれるようなたくましいアーティストは、わざわざ芸術祭を開いて呼ばなくても自分から好みの場所を探して移住してきて、勝手に地域を開拓していきます。
そうなったときにできる範囲で協力してあげるほうが無理なくいい結果が出やすいので有意義です。
(アーティストとしてはたくさん地域の芸術祭をやってもらって制作の場が増えた方がいいんですけどね。)

家庭などの事情があって自分で動き回れず、今いる場所で助成金を得て活動をしたいという場合は自分でイベントやNPOなどを立ち上げて助成金を獲得するという手があります。
日本の場合純粋にアートを援助することを目的とした助成金は海外に比べて少ないのですが、NPO活動に対して出される助成金まで含めたら結構色々あるので、NPOの活動の一環としてアートを取り入れ、獲得した助成金の一部を制作費に回すということは可能です。
ただ、そうなるとイベントやNPOの運営など煩雑な事務作業が増えて制作にあてる時間がなくなったり、助成金が取れなかった場合や足りなかった場合の実費を自腹で払わないといけなかったりなどのリスクもあります。
そもそもイベントやNPOの立ち上げ自体かなり大変ですから、そういうことが好きな人でないとできません。

これは一人で助成金を獲得する場合にも言えて、助成金を使うためには面倒な申請書を作ったりちゃんとお金や効果を計算して収支や結果の報告書を書いたりなど、まあとにかく面倒臭い事務作業も沢山しなければいけないのです。
助成金は決して楽してお金を貰える手段ではないというのを肝に命じておいてください。
このことは日本でもヨーロッパでも変わりありません。



4. 仕事と制作活動を分ける

私はこのタイプです。
その2でも書いたように、日本でサラリーマンをやりながら自分の制作活動を続けられる人はほとんどいないと思いますが、海外で勤めている人にはそういう人も珍しくありません。
ドイツや北欧は働きすぎないように企業を見張る法律がしっかりしているので自分の時間をしっかり確保できますし、イタリアやギリシャなどはそもそも仕事という概念がゆるく、普通に仕事をサボりながら好きなことをしている人もいます。
ラオスやベトナムなどの東南アジアは日本に比べて物価が安いので、日本でちょっと稼ぎながら制作や生活をゆったり楽しむというのも可能でしょう。
(ただし、どこの国に行っても日系企業に努めると日本と変わらずブラックだという話はよく聞きます。)
まぁ、言語や文化の壁もありますし、そもそも労働可能なビザを取得すること時点で結構ハードルが高いので、現実そう簡単に上手くいくわけではありませんが、少なくとも海外で働くことができるのであれば日本で働くよりかは大分マシだというのが私の感想です。

私はサラリーマンではなくフリーランスという、いわいる自営業扱いになりますが、商売感覚と売りに出せる武器さえあれば、制作活動と仕事を両立して生きていくことも結構可能です。
少なくとも結婚したり家庭をもったりしていない場合は自分の稼ぎだけでかなり自由に生きられます。
(つまり家庭を持ったりするとなかなかそうは言っていられないということでもありますが。)

海外、特にドイツなどの福祉厚生がしっかりした国で生活して制作活動を行う利点はここにもあります。
それは日本に比べて教育費や医療費がかからないこと。
日本だと子供の教育費や親の介護費用などを稼ぐために自分の時間を削って働かないといけない場合が多々ありますが、福利厚生のしっかりしている国では子供や老人、障がい者や弱者の面倒を見るのは国の役目であるという理念に従って国が援助を行う制度が整っているので、日本にいる場合よりも安心して家庭を築いたり子供を育てたりしながら仕事と制作活動の両方を続けていくことも可能なのです。
本当は日本もそういう国になってくれたら一番いいんですけどね。

また話が逸れましたが、仕事と制作活動を両立する場合、その二つが近いものであった方が無理なく続けて行きやすいというのが私の経験則です。
例えば私の場合はインスタレーションアートという実際の空間にイメージと手を加えて特殊な空間を作り出す制作活動を主に行っていますが、仕事も同じように内装やアーティストアシスタントといった空間や造形スキル及びそれに関する知識を使う依頼を請け負っています。
そうすることで制作で試したことが仕事に活き、仕事で新たに学んだことが制作に生かされるという相乗効果も生まれますし、仕事に使う道具も制作に使う道具も同じなので、出費が抑えられる上に経費としても落としやすい。

また、技術だけを持っている人、センスや知識だけを持っている人というのは割といますが、その両方を持っている人や専門外のことまで詳しい人というのは仕事の細分化が進んだ現代では希少な存在なので、仕事に使える技術と芸術的な感性や表現力、幅広い知識や経験など複数の武器を持っている人材は結構重宝されるのです。
(器用貧乏な人や性格が面倒臭くて扱いづらい人はその限りではありません。)

それと、ギャラリーとの契約や助成金を使う場合と違ってお金を出してくれる人からの制限がないので、自分が使えるお金の範囲内であれば好きなものを作り好きなように表現することができるというのも魅力です。
写真や映像などをしている人に私と同じような仕事と制作の内容が近い人が多いですね。
注意点を言っておくと、内容が近すぎると仕事と制作を混同してしまうことがたまにあります。
色々な仕事を受けていると仕事に芸術性を求められることも出てきますが、そこで芸術性を優先させようとして依頼主の要望をないがしろにしたり、仕事として作ったものを依頼主の許可なく自分の作品として発表しようとしたりすると当然問題が生じます。
冷静に考えると当然のことなのですが、そこは作り手の業というものがあって、作っている内に熱中しすぎて相手が求めている以上の芸術性を発揮しようとしたり、いいものができると手放してしまうのが惜しくなってしまったりすることがあるのです。
実際私も学生の頃や卒業後すぐの頃何度かそういう失敗をしました。
仕事と制作の内容が近い場合、それぞれを割り切って向き合うことのできる自律性や自制心が必要になります。
あと、フリーランスとして生きるならアーティストであるかどうかとは関係なく、営業や経理、経営、商売感覚などの才能も必要になってきます。
その全てが必要というわけではなく、経理が苦手でどんぶり勘定だけど人当たりがよくて(営業が得意で)沢山仕事をとってくる人とかもいますし、仕事はそんなに多くないけどやりくりの上手い人とかもいて、フリーランスとしての生き方は人それぞれです。
ただ、腕だけいいという人はそれを認めてくれる人やその人ができないことを代わりにやってくれるマネージャーのような人がいないと食っていけません。
そういう人はビジネスパートナーを見つけるか自分の腕を買ってくれる会社などに入った方が生きやすいでしょう。



5. 美術教師や美大講師になる

フリーランスは向かないし、かといって会社勤めになると制作する時間がないという人は、美術教師などになって美術を教えながら自分の制作を続けるという手もあります。
美術予備校や絵画教室で教える場合はデッサン力と美大受験の心得があれば、特別な資格等がなくても教えられます。
小中高等の学校で教える場合は美術大学や教育大学で教員免許を取得して、学校の採用試験を受けたり非常勤講師の募集に応募したりして職を得ます。
(小学校は美術以外も教えないといけないのでハードルが高く、中高の先生を目指す人が多いのですが、最近の進学校は美術等の授業を削減しているところも多くて就職倍率が結構高いようです。)

美大で教える場合、教授を目指すのであれば「大学→大学院→助手→大学講師→准教授→教授」というコースに乗るのが一般的です。
確かに制作をしながら最終的に権威と役職を手に入れられるのですが、必ずしもすべての人が院に入ったり順調に助手や講師になれたりするわけではなく、助手や准教授は雑用を押し付けられることも多く、講師になるまでは大した給料も出ないので、教授まで行けば一発逆転だけどそれまでは茨の道だと考えた方がいいのかもしれません。

あと、一般的なコース以外でも実績を認められれば大学に非常勤講師や講師を頼まれて最終的に名誉教授などに任命されることもあります。
だからアーティストをやっている人の中には「あわよくば」と考えて大学講師の座を狙っている人は結構います。
ただ、アーティストとしての実績があることと講師に向いているかどうかは全く違う素質なので、実績のあるアーティストが大学講師や教授となって自分勝手なプライドを振り回し、学生を潰してしまうというのも本当によくある話です。
(実績のある大学講師や教授は要注意です。一般コースで教授になった人もずっと大学にいたせいで世間知らずな人が多いので要注意です。要するに先生というだけで相手を立派な人だと思い込むのは危険です。)


6. なんとか頑張ってみる

商業アーティストや会社員、フリーランサーにも美術教師にも向かないけど、制作を続けたいという人はバイトなどを掛け持ちしてフリーターをしながら作品を作るかパトロンを見つけるかという結論に落ち着く場合が多いでしょう。

日本で見つけられる現実的なパトロンといえば親ですが、私が知っている限りむしろほとんどのアーティストの親はパトロンになってくれるどころか30代を過ぎてきたあたりでアーティスト活動をやめていい加減正社員になれと言ってくるようになります(笑
もしもあなたの親が制作活動を応援してくれるのであれば感謝しましょう。

大金持ちにパトロンになってもらいたいのなら、アートバーゼルやベネチアビエンナーレくらいの規模の美術展に出展したり、日頃から高級リゾート地に出入りしたりしているくらいでないとそもそも大金持ちと出会うことすらできません。

もしあなたが可愛い女の子であれば、女子に構ってもらいたい下心剥き出しのおっさんが援助を申し込んでくれることが日本でもちょいちょいあるみたいですが、それはそれで嫌ですよね。

自分が求めるパトロンがどこで活動していて、どういう作品が好きで、どうすればその人にパトロンになってもらえるのか調べて実行できるだけの能力がある人であれば、はっきり言ってパトロンなんか見つけなくてもギャラリーと契約したり助成金を取ったりフリーランサーとして活動したりできます。
実際パトロンのついているアーティストというのは大抵パトロンがいなくてもやっていけるくらい有能な人達です。
有能で魅力的だからこそパトロンが付くのです。

言われなくても分かることだと思いますが、楽したいが為にパトロンが欲しいとのたまっているような人にパトロンが付くことは奇跡でも起きない限りありませんし、そこでやる気が起きない時点で今後制作活動を続けていくのも難しいでしょう。
夢を見ることは悪いことではありませんが、変な夢に逃避するのはやめましょう。現状が余計に悪くなるだけです。
(ちなみにパトロンは日本語に直訳すると常連客になります。まずは常連さんを作ることから始めましょう。)

フリーターって何だか嫌なイメージが持たれてますよね。
もともとの意味は悪いものではないし、バイトとはいえちゃんと働いている人も多いのに、フリーターというだけでちゃんとしていないように言われがち。
フリーターが不安定で甲斐性がないのは国の福利厚生に関する制度の問題や雇用側の経営上の問題も大きいので、今後はフリーターや派遣社員も胸を張って生きられるように制度を整えてもらいたいところですが、この国でお上にすがって生きていても残念ながら下流の人々の生活が改善されることはあまりないでしょう。

大抵の人がフリーターでいたくているわけではないと思うので、頑張って!としか言えない場合も多いのですが、あくまで通過点や経験値稼ぎと割り切ればフリーターというのも社会を知る上での貴重な経験となります。
私の商売感覚も小さい頃から仕事をしたり色んな大人を見たり社会の裏事情を覗いてしまったりしたからこそ身についたもので、色々経験値を積んでおいて良かったと思うことがよくあります。

それと、たまに胸を張ってフリーターをやっている人がアーティストであるなしを問わずにいるのですが、彼らは逞しいし何より独自の視点を持っていて面白い。
彼らは一般的な社会基準からはかなりズレた価値観の中で生きているのであまり評価はされないのですが、下手な自称アーティストよりも遥かに面白いことを考えたり実行したりしています。
その2でアーティストの社会的意義について簡単に書きましたが、フリーターをしている人の中にはそれを地でいっている人達が割といます。
一般的な価値観で評価を下して彼らを見る前に、一度話をして見ることをお勧めします。
思わぬ収穫があるかもしれません。

あと、最近美大を卒業した人で多いのが、助成金の項目で書いたようなイベントやNPOをしている組織に入ってバイトをしながら自分の制作を続けていく人達です。
実際に自分で立ち上げるとなると大変ですが、すでに誰かが立ち上げているのであればそこに関わるのもいい勉強になります。
そういう組織に入るとアートに関わって生きられるという魅力があり、イベントにやってくるアーティストと知り合って人脈を作ることを目的にしたり、いずれ自分でイベントや組織を立ち上げたいから手伝って勉強をしたりするなど、目的を持って働いている人をよく見かけます。

同じく目的を持ってバイトをしている人が多いところで言えば美術館やギャラリーもそうです。
展示の手伝いは神経を使い大変ですがとても勉強になりますし、実際にアーティストの話を聞いたり作品を生で鑑賞したりできるのは得難い経験です。

働いている内に自分の限界を知ってアーティストを諦める人がいても、そういうところで働いていた人はキュレーターやギャラリストに転向する場合も多く、キュレーターやギャラリストが致命的に不足している日本の現状を考えるとそれはそれで望ましいことだと言えます。
人によっては自分で作品をつくるよりも、イベントや展示を企画して、自分の意図に沿うアーティストを集めて彼らの表現を借りながら、展示全体で自分の示したいものを提示することの方が楽しく感じる人もいるので、そういう人はキュレーターやギャラリストになる方が向いているでしょう。




・結

いやぁ、こうやって書き起こして見ると案の定長くなりましたね。
まだまだ書き起こしたいネタは色々ありますが、とりあえず「アートの現場から」という切り口で書き出すのは一旦ここまでにして、またネタが溜まってきたらその4を書きたいと思います。
それまではまた別の切り口とネタで一時帰国中に見聞きしたことなどを書く予定です。

たまにアーティストとして生きたいけど、アーティストとして食べていけているとは言い難い現状に、強い自己否定やフラストレーションを抱えている人がいます。
そういう人に言ってあげたいのは、商業アーティストだけがアーティストとして認められるわけではないし、日本の中では生きづらくても海外にはアーティストが生きられる場所が沢山あるということ。

そもそもアーティストってそんなに立派なもんでもないし、無理してやるもんでもないから、辛いならやめちゃってもいいんですよね。
嫌だけど、辛いけど、それでも作り続けてしまう人は生まれついてのアーティストなんだから、周りが勝手に決めつけたアーティスト像に無理して合わす必要はないと思います。

アーティストというのは所詮言葉や肩書きでしかありません。
それを使った方が便利なら使えばいいし、しっくりこないなら使わなければいい。

今回、私が知っている範囲内でですが、色々なアーティストのあり方や国によって違うアートの捉え方を紹介したのは、今いる場所だけが世界の全てではないし、もっと肩の力を抜いて伸び伸びとアートやアーティストという存在に接してもらえたらいいなと思ったからです。
特に日本には狭い視野と世間の中で縮こまって凝り固まっている人が多いから、世の中思った以上になんでもありだし色々面白い生き方ができるのだと知ってもらいたい。
もちろん実際に自由に生きるのは決して楽ではないけれども、苦労したぶんだけ楽しみも増えるということを経験してみて欲しい。
この文章が視野を広げるきっかけになれたのなら幸いです。




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